ぼくの「キッチャン」

わけあって、四国で高校生活を送りました。もう遥か昔のこと。

当時寮生活だったのですが、さきほど昼飯を食いに事務所の外に出たら、同室(六畳一間に二人部屋)として暮らした友人に、バッタリ逢いました。

初めて彼の自宅を訪れたのは、高校三年の正月休みです。「狭いけど、いっぺん遊びにけえへん?」と言われて、神戸・新開地の駅前で待ち合わせました。彼の案内はドンドン海の方に行きます。海の方どころか、岸壁まで連れていかれました。「ここや」彼が指差す方向には、小さな船がありました。彼の自宅は”貨物船”だったの。沖合いに停泊する大型貨物船から、港へ荷物を運搬する小型の船が彼の家でした。

グラグラ揺れる板を渡って、”自宅”に案内されました。甲板に穴があいており、小さな梯子を降りると、3人の妹、それに彼の両親がおせち料理を食べながら、TVをみてはりました。

うっとこ(自分ち)と全然変われへん、正月三が日の風景でした。一つ違っているのは、「揺れてる」ことだけ。
あと、窓が無くて、部屋が暗いこと。裸電球が2個だけやのに、やたら明るかったのを今でも鮮明に覚えています。あと、なんか重油の匂い。甲板に座ってぼんやりと灰色の水面を見てたら、彼が初恋の話をしてくれました。

小学3年のときに、突然隣同士に停泊することになった船の女の子。毎朝一緒に、ぐらぐら揺れる板梯子で陸に上がり、手を繋いで小学校に通ったこと。風邪で休んだときは、ぐらぐら揺れる板梯子でその子の「家」に給食のパンを届けたこと。学校に行っている間それぞれの「家」は、ハシケとして仕事をする「船」になっているので、放課後の二人は、空っぽになった岸壁に座って、沖から「家」が戻ってくるのを待ったこと。真夏の寝苦しい晩、二人でこっそり海に入って真っ暗な水面を泳いだこと。
5年生のある日、読書感想文の宿題を一緒にやろうと思い、走って「家」に帰ると、彼女の「家」がそこになく。目をこらして沖を見ても、見知らぬ船ばかり。母親から、彼女の「家」が尾道にある母港に帰ってしまったことを聞かされ、約束したのに、約束ちゃんとしたのにと、イライラしながら甲板でエンピツを動かしてたら、涙がポタポタ落ちてきて、宿題用の原稿用紙をくしゃくしゃにしてしまったこと。

お互い「船」に住んでなかったら、どこへも行かずに済んだのになぁと、彼はぼんやり・ちょっとダケ照れ笑いしながら言うたのを、覚えてます。

今でも”あそこ”に住んでるんかな? そんなこと聞けなくて、それぞれの簡単な近況を語り合って、そのまま道端で分かれました。

自分にとっての「泥の川」です。